ワイン 資料
2006-11-07T12:02:38+09:00
dmxakira
ワインを系統毎に分類して保管していきます
Excite Blog
シャトー・レイヤス・シャトーヌフ・デュ・パプ・ブラン
http://dmxakira.exblog.jp/3724424/
2006-11-07T11:45:00+09:00
2006-11-07T12:02:38+09:00
2006-11-07T11:45:35+09:00
dmxakira
ローヌ
【生産者】
シャトー・レイヤス
【ワイン銘柄】
シャトーヌフ・デュ・パプ・ブラン
【ワイン生産国、地域】
コート・デュ・ローヌ
シャトー・レイヤスエキセントリックで、かわいらしい悪魔のようなジャック・レイノーさんが経営する別格のブドウ園、シャトー・レイヤス。
レイヤスの高いレベルの豪奢さと別格ともいえる強烈さは、舌触り味わいの豪勢さと組み合わさって、偉大なボルドーやブルゴーニュを超える程の物になります。
シャトー・レイヤスには、世界中でも独特なワインがいくつかあります。その業績は、ジャック・レイノーさんと、その父親である1979年に亡くなった故ルイさんによって生み出されました。
ジャック・レイノーさんという謙虚な天才が造り出すワインは、ローヌ渓谷南部で最も樹齢の高い畑でとれた低収量のブドウが使われています。
レイノーさんを助けている姉妹のフランソワーズさんも彼と同じくエキセントリックなタイプの女性です。
シャトー・レイヤスには22haの広さのブドウ園があり、その内15haにブドウが植えられており、その生産量は3000ケースに満たないほどの少なさです。シャトー・ペトリュスが11.3haの畑で平均4500ケースのワインを生産している事を考えれば、いかにレイヤスの収量が少ないかを理解できるでしょう。
シャトー・レイヤスのブドウ園では、レイヤスとピニャンという二つの赤ワインが生産されています。
レイヤスはもちろん、レイヤスの選別を終えた後で選ばれるピニャンもすごいワインになる事があります。ヴィンテージによってはレイヤスより力強く、凝縮しているんです。
レイヤスのセラーでは、レイヤスの白とフォンサレットの白を最初に瓶詰めし、続いてレイヤス、フォンサレットを瓶詰めして、その後レイヤスに至らないとされたキュベがピニャンの名で瓶詰めされます。
シャトーヌフ・デュ・パプ西暦1309年ボルドーの大司教によりローマ教皇に推選されたクレメンス5世は、アヴイニヨンに移り,以後1377年まで7代の間、教皇庁はローマではなくアヴイニヨンにおかれました。これが世界史で有名な「教皇のアヴイニヨン補囚(またはバビロン幽囚)」と呼ばれるものです。
この地方は12世紀から聖堂騎士団によりワイン作りが行われていましたが、つぎの教皇ヨハネス22世が,かつて聖堂騎士団が建てた館を修復して別荘としたので、これ以降教皇(Pape)の新しい邸(Chateau-nef)という地名が生まれ、この地方で取れるワインにこの名が付けられる所以になりました。
丸い小石に砂まじりの土壌は、昼と夜とで28℃も温度差があるといわれていて、13品種(数えかたで14品種)ものブドウが栽培されています。これらのブドウから、フルボディの、アルコール度の高い(最低12.5%)、長命な濃厚な味わいの赤ワインと、花や果実の香り高い白ワインが作られています。
【ワインタイプ】白ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
グルナッシュ・ブラン]]>
シャトー・オー・ブリオン
http://dmxakira.exblog.jp/2636957/
2006-06-27T14:57:00+09:00
2006-06-27T15:02:02+09:00
2006-06-27T14:57:07+09:00
dmxakira
ボルドー
【生産者】
シャトー・オー・ブリオン
【ワイン銘柄】
シャトー・オー・ブリオン
【ワイン生産国、地域】
フランス-ボルドー
シャトー・オー・ブリオン17世紀には既に畑の名前(オー・ブリオン)で販売されたほど、ボルドーで最も早くから評価の高かったワイン。1855年のメドック地区の格付けの際にも、唯一メドック以外から格付けされました。
1934年にアメリカの銀行家ディロンが購入し(米国人が所有する唯一の第1級シャトー)、畑の改善やシャトーの修復など多額の投資を行ないました。格付けシャトーで最初にステンレスを導入し、熟成に100%新樽を用いるなど、品質向上に向けた努力を重ね続けています。
創始者はポンタック一族ですが、オー・ブリオンに纏わる話で一番有名なのは、フランス革命、ナポレオン帝政、そして王政復古の各時代を生き抜いた政治家“タレイラン”です。
美食家としても有名であったタレイランは、また、短い間でしたがオー・ブリオンの城主でもありました。
お抱えの料理長は当時フランス随一と言われたカレームで、外交官として出席したウィーン会議でカレームの料理とオー・ブリオンの美酒が各国の使節に振舞われたことは想像に難くありません。
現在は、銀行家として、また財務長官ダグラス・ディロンを輩出したことでも有名なディロン家がオー・ブリオンを所有しています。また、著名な管理人ジャン・デルマにより、短時間の発酵と30ヶ月に及ぶ新樽での熟成を行ない、芳醇で甘味すら感じる最高級の評価を得ています。
ブラインド・テイスティングにおいて、オー=ブリオンが、第一級シャトーのなかでは最も外向的で軽いワイン、という印象をしばしば与えるという事実は興味深い。実際には、このワインは軽いのではなく、単に、オークの個性があって肉付きがよく、よりタンニンの多いメドックのワインや、よりソフトでメルロが支配的な、右岸でつくられたワインとは異なっているというだけなのだ。最高のヴィンテージにおいては、早熟であるにもかかわらず、このワインは30年かそれ以上熟成を続ける能力を持っており、ほかのいかなる第一級シャトーのワインよりも飲み頃である期間が幅広い。
講談社 『BORDEAUX ボルドー 第3版』
【ワインタイプ】赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
カベルネ・ソーヴィニヨン]]>
ジャック・セロス・キュヴェ・シュプスタンス
http://dmxakira.exblog.jp/1412194/
2006-03-24T21:23:00+09:00
2006-05-12T13:28:21+09:00
2006-03-24T21:23:26+09:00
dmxakira
シャンパーニュ
【ワイン生産者】
ジャック・セロス
【ワイン銘柄】
キュヴェ・シュプスタンス
【ワイン生産国、地域】
フランス-シャンパーニュ
ジャック・セロスシャンパーニュ地方コート・デ・ブランのレコルタン・マニピュラン(RM:葡萄生産者元詰めシャンパーニュメーカー)。コート・デ・ブランの4地区アヴィーズ、クラマン、オジェ、メニル(全てグランクリュ)の自社畑から、平均年産僅か4000ケースの芸術的なシャンパーニュを造り出す。現当主アンセルム・セロス氏は「良いシャンパーニュは良いワインからしか生まれない、また良いワインは土地と気候と優れた栽培家に恵まれた葡萄でしか造れない。」と語り、自らの手で葡萄畑の土造りから出荷までを実践する。
アンセルム・セロスとコリーヌ・セロスジャックセロス アンセルムの父親が1949年に創業した。1976年アンセルムはボーヌの醸造学校から帰り、アンセルムのワイン造りが始まった。1986年頃から木樽で醸造を始め1993年には全ての収穫を木樽で醸造するようになる。当時、グランメゾンの醸造家は彼を変人扱いしたと言う。日本では1993年6月から販売を開始。
平均年間生産数平均4000ケース(750ml)のRM(レコルタン・マニピュラン 葡萄生産者元詰)
位置ワイナリーはアヴィーズの町中。葡萄園はコートデブラン アヴィーズ、クラマン、オジェ、メニル に合計6.15ha(全てシャルドネ)
離れてアンボネイに0.35ha(ピノノワール)
白亜質の石灰岩土壌。
葡萄栽培シャルドネ 平均樹齢38年。良質の原料ワインを求める為にビオディナミを実践。ビオディナミの暦を使用しているが状況によっては柔軟に対応する。全ては健全な葡萄栽培のための手段で、ビオディナミ自体が目的ではない。アンセルムにビオディナミの信者的なイメージは無い。アンセルムの畑には冬小麦等、土の状況に応じてカバークロップが生やされている。畑に入れば生命に溢れた感覚がダイレクトに伝わり、畑の土のまるで毛足の長い絨毯を踏むようなフカフカした感触と共に、生きた畑が実感できる。
アイとアンボネイに0.7haの葡萄畑を持ち、グランクリュのピノノワールから実験的なワインを少量生産している。
ワインの醸造一次発酵に228lと400lの木樽を使用。新樽比率10%。樽の材料により味わいに偏りが出ないように5社の樽メーカーに5つの産地の樽材から3種の樽材を組み合わせて樽を造らせる。400lの樽は4種の樽材を合わせている。
発酵には自社のセラーに自生する天然酵母をドイツの酵母メーカーに送り培養して使用。醸造後、澱引き、濾過せずに翌年5月頃まで樽熟成。この時点でテイスティングしてボトリングに回すワインと更に樽熟成させるワインに分ける。マロラクティック発酵は行わない。
シュプスタンスは独自のソレラシステムを組む。収穫の翌年、通常の小樽から4000lの大きな木樽に澱と共に移され、次の年には澱を取り除いて4300lのステンレスタンクに移される。毎年、4300lのステンレスタンクから全体の22%をボトリングする為、減った分を大樽から移し、更に大樽の減少分を小樽から移して行く、所謂ソレラが出来上がる。このソレラには1984年収穫からのワインが入っている。
シャンパン造りボトリング後、2年~3年間の瓶内熟成。年間平均気温10℃地下セラーで瓶熟成。
ルミアージュは手作業。デコルジュマンは瓶口を凍らせずに手作業で実施。デコルジュマンは客先からの出荷依頼を受けてから実施。デコルジュマンの日付はボトル裏ラベルに記載される。
デコルジュマンから半年位経過して、ワインに落ち着きが出てくる。確実に瓶内熟成するシャンパン。
【ワインタイプ】発泡ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
シャルドネ]]>
メオ・カミュゼ・リシュブール
http://dmxakira.exblog.jp/1257073/
2006-03-15T21:26:13+09:00
2006-03-15T21:28:54+09:00
2006-03-15T21:26:14+09:00
dmxakira
ブルゴーニュ
【生産者】
メオ・カミュゼ
【ワイン銘柄】
リシュブール
【ワイン生産国、地域】
フランス-ブルゴーニュ
ドメーヌ・メオ・カミュゼメオ・カミュゼの歴史は今世紀初頭にさかのぼる。1902年から1932年にかけて、コート・ドール県議会議員であり、ヴォーヌ・ロマネのワイン生産者であったエチエンヌ・カミュゼがドメーヌ拡大を手がけ、やりがいのある評判の良いブドウ畑をセレクトした。
一連の素晴らしいアペラシオンはエチエンヌの尽力によるもので、特に彼が入手したクロ・ヴジョのブドウ畑は最良の場所に位置していた(彼は、このクロ・ヴジョの城がタスト・ヴァンに譲り渡される前の最後の所有者であった)。
エチエンヌ・カミュゼ氏の娘、マリア・ノワロがブドウ畑を相続していたが、1959年に亡くなる際子供がいなかった為、近親のジャン・メオにドメーヌを遺した。ジャン・メオは当時ドゴール将軍の内閣に籍を置いていた。
マリア・ノワロ女史の「すべてを存続させる」という意志はもちろん尊重された。ドメーヌを拡大していくことは畑を実際に任されていた分益小作人達に託された。ジャン・メオはワインの商品化にも力を入れた。当初は地元で有力なネゴシアンに樽で売買された。この経営段階においてはジャン・メオはパリの職務を果たしながらブルゴーニュのドメーヌの監督を続けることができた。
1985年よりメオ・カミュゼは所有者本来の名を維持しつつワインを販売することとなった。1988年以降、ジャン・メオは分益小作人の引退に伴い、徐々にブドウ畑を仲介者を入れずに開拓することに着手した。(現在も2.5ヘクタールの畑が分益小作の状況にある)もはや、パリに居ながらドメーヌを管理するには手が及ばず、「大地への帰還」が必要となっていた。
そこでジャン・メオの息子であるジャン=ニコラ・メオが1989年よりドメーヌの経営を担当するようになり、ドメーヌの管理と発展に携わっている。ブドウ栽培に関しては、クリスチャン・フロワが主に担当しており、彼自身は元々分益小作人の出身であるが、ドメーヌ全体に力を注ぐことを選んだ。
ワイン造りブドウは自然に発酵が始まる前に3日から5日間もろ味果汁と一緒に約15度の温度で冷却浸漬される。発酵中、34度から35度を越えないように常に温度管理される。
ワインはその後、好条件でワインの熟成が保たれるように、仕込みタンクから樫の新樽に移される。樽はワインに適度な酸素とのコンタクトをもたらし、ワインを安定化させる。また樽はワインによく合うアロマをもたらし、ワインの本来持っているアロマをも引き出してくれる
重力を用いた瓶詰め方法で、ノンフィルター、例外がなければノンコラージュが基本。このように、人が手を加えることで、ワインが本来持っている自然の良さをなくしたりはしない。つまり、ドメーヌの信条として、素材の良さを尊重すること、ワインを本来あるがままの姿で扱うこと、生きている成分を考慮すること。以上のことは、自然に対して受身の態勢で居るということではなく、自然がより良い形で生み出されるように寄り添って、自然の成り行きを助けていくことを意味する。
【ワインタイプ】赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
ピノ・ノワール]]>
E.ギガル・コート・ロティ・ラ・トゥルク
http://dmxakira.exblog.jp/1035918/
2006-03-02T21:04:54+09:00
2006-03-02T21:04:54+09:00
2006-03-02T21:04:54+09:00
dmxakira
ローヌ
【生産者】
E.ギガル
【ワイン銘柄】
コート・ロティ
【ワイン生産国、地域】
フランス-コート・デュ・ローヌ
E.ギガルその安定した酒質で、他の生産者の追随を許さないACローヌをはじめ、コート=ロティの極みとも評されるムーリーヌ、ランドンヌ、トゥルクを生み出す、いまやローヌ・ワインの代名詞ともいえる存在。
初代エティエンヌがアンピュイの町に社を構えたのは1945年。その後現在のオーナーである息子マルセルの代になり、同社の名声のもととなる区画の数々をコート=ロティに取得。その後もかつてエティエンヌが働いていたコート=ロティの老舗ヴィダル・フルーリィ社、2001年にはサン=ジョゼフの名ドメーヌ、ジャン=ルイ・グリッパ、さらにはローヌ北部に10ヘクタールほどを所有するドメーヌ・ド・ヴァルーイを取得し、現在では総面積30ヘクタール以上を所有する名実ともにローヌを代表する生産者となっている。
そんなギガルのスーパー・スターが、ラ・トゥルク。85年がファースト・ヴィンテージで4,000本程のワインが市場に出回った。ラ・ランドンヌと同じコート=ブリュヌに位置する1ヘクタール弱の区画。
ギガル独特の製法で生み出されるこのワインの特徴のひとつは、30度に達する高温で2~3週間に渡る長期間の仕込み。もうひとつは、100パーセントの新樽を用いて42ヵ月近く熟成させることにある。そのためワインはほとんど黒に近いような濃い色調で、ぶどうの成分が最大限に引き出された、スケールの大きなものとなる。
【ワインタイプ】赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
シラー]]>
シャトー・ラフィット・ロートシルト
http://dmxakira.exblog.jp/952604/
2006-02-25T16:55:29+09:00
2006-03-15T20:50:25+09:00
2006-02-25T16:55:29+09:00
dmxakira
ボルドー
【生産者】
シャトー・ラフィット・ロートシルト
【ワイン銘柄】
ポイヤック
【ワイン生産国、地域】
フランス-ボルドー
シャトー・ラフィット・ロートシルトボルドーで最も有名なシャトーでありワインのラフィット・ロートシルトは、エレガントで小ぶりでシンプルなラベルとともに、その名は富や格式、歴史、敬意、そして特筆に値する長寿の代名詞となっている。
このシャトーは、ポイヤックの最も良く高い土地を支配している。 (名前の由来であり、ラ・フィットは高さと言う意味)
ポイヤックは、ラテン人の詩人であるオーゾンヌによって紀元前325年頃に言及ぼされている地域である。ほとんどのメッドクと同様に、敷地の事は1355年に言及されているが、ワイン自体が言及されているのは1641年。
ラフィットの評判は、18世紀にさかのぼり、ニコラ・アレクサンドル、つまりが所有してきた時である。この頃、彼はまたラトゥールとムートン・ロートシルトも所有してた。
1855年のメドック格付け第1級の筆頭シャトーである「シャトー・ラフィット・ロートシルト」は、間違いなくメドックで最上のテロワールを擁している。石灰質を基盤とする砂利質の土壌は、粘土質の上に砂礫が多い近隣のシャトーとは大いに異なる。この土壌から、世界で無二のエレガントで天性のフィネスを誇るワインが生まれる。また、西洋杉、白檀の木、スミレの卓越したアロマは、決してボディの重さに負けることのない神がかり的に複雑なタンニンと結びついている。
数十年もの間、「ラフィット・ロートシルト」は過剰に人の手をかけたり加えたりしないで、恵まれたテロワールに依存したワイン造りを行ってきた。したがってすべての愛好家は、1960年~70年代の多くのヴィンテージの構成が弱い事を身をもって知っている。しかし、クリュは85年ヴィンテージから明らかに成長を遂げ、賛嘆すべき86年、感嘆させられる88、89、90年と続いている。ディレクターのシャルル・シュヴァリエと技術チームは、95年から再び以前のような作業に戻っており、情け容赦のない厳しいセレクションを行っている。
例えば、『ラフィット・ロートシルト』のキュヴェには、平均して年に生産量の3分の1しか残さない。『カリュアド・ド・ラフィット』の名を持つ弟分のセカンドワインは、偉大な兄『ラフィット・ロートシルト』が描く路線に沿っており、徹底的なセレクションの上で造られている。
グラン・ヴァンには平均樹齢40年のぶどうが用いられている。ぶどう畑の1/5は50年を超えており、最も古い区画には1886年に植樹されたぶどう樹がある。
【ワインタイプ】赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
カベルネ・ソーヴィニヨン]]>
モエ・エ・シャンドン・キュベ・ドン・ペリニヨン
http://dmxakira.exblog.jp/817666/
2006-02-16T23:47:00+09:00
2006-02-17T00:11:28+09:00
2006-02-16T23:47:00+09:00
dmxakira
シャンパーニュ
【生産者】モエ・エ・シャンドン
【ワイン銘柄】ドン・ペリニヨン
【ワイン生産国、地域】フランス-シャンパーニュモエ・エ・シャンドンパリから北東へ150km、シャンパーニュ地方エペルネの町の中心地にあるモエ・エ・シャンドン社は、1743年にクロード・モエによって創立されました。
生産量、品質ともに卓越したトップメーカーとして知られ、世界150ヶ国に輸出されるベストセラー・シャンパーニュとして君臨しています。
モエ・エ・シャンドン社は、この2世紀以上にわたって世界各国の要人を迎え入れてきました。
ポンパドゥール侯爵夫人を始め、創立者クロード・モエの孫ジャン=レミー・モエの親しい友人であった皇帝ナポレオン1世、ロシア皇帝アレキサンダー1世、そして日本の皇族など、著名人の訪問の記録が数多く残っています。
ドン・ペリニヨンはシャンパンの真髄です。あらゆる成分がお互いに補足し合い、補強し合って、完全なバランスが生まれ、全体として部分の総和以上のものが作り出される融合という意味で、「アサンブラージュ(集合芸術)」という概念にぴったり当てはまる存在です。
一つ一つのエレメントが、容赦のない選別のふるいにかけられます。シャンパーニュ地方の最高の葡萄とワインだけを使用するのです。それが比類なき特色を持ち、シャンパンの最高品質を体現したワインを生み出します。
これらのワインは様々に融け合った-精妙なつくりの-絹のように滑らかな 霞のようでえも言われぬ感覚を持っています。 ドン ペリニヨンのスタイルは、製造過程における複数の選別と必要条件によって作り上げられます。
ドン ペリニヨンの名声の高まりは、止まるところを知りません。しかしその成功はしっかりした基盤の上に成り立っています。それはスタイル、希少性、卓越したワイン製造法の隅々にまで至る厳密さ、職人たちの優れた技術と、落ち着いた、優雅な外観の上に築き上げられてきたものです。
シャンパン産業の神話となったドン ペリニヨンの成功物語。それは見果てぬ夢の実現、優雅さと洗練さ、まれにみる質と悦楽を体現するものといえましょう。
【ワインタイプ】発泡性ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
シャルドネ]]>
ドメーヌ・ラモネ・モンラッシェ
http://dmxakira.exblog.jp/799847/
2006-02-15T22:23:38+09:00
2006-03-15T20:56:25+09:00
2006-02-15T22:23:38+09:00
dmxakira
ブルゴーニュ
【生産者】
ドメーヌ・ラモネ
【ワイン銘柄】
モンラッシェ
【ワイン生産国、地域】
フランス-ブルゴーニュ
ドメーヌ・ラモネジャン・メオは1988年から、徐々にぶどう畑を仲介者を入れずに開拓し始めました。(現在も2.5haの畑が分益小作の状況にある)パリに居ながらドメーヌを管理するには手が及ばず、「大地への帰還」が必要となっていました。
そこでジャン・メオの息子であるジャン=ニコラ・メオが、1989年からドメーヌの経営を担当するようになり、現在もドメーヌの管理と発展に携わっています。ぶどう栽培に関しては、クリスチャン・フロワが主に担当し、フロワ自身は元々分益小作人だでしたが、ドメーヌ全体に力を注ぐことを選びました。
メオ・カミュゼが目指しているものは、ストラクチャーとフィネス、コンセントレーションとチャーミングさ、を兼ね備えたワイン造りをすること。
ワインの醸造と熟成における助言者であるアンリ・ジャイエ氏の助言のもと、ドメーヌの目指すワイン造りの実現を行ってきました。
【ワインタイプ】白ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
シャルドネ]]>
シャトー・カロン・セギュール
http://dmxakira.exblog.jp/732231/
2006-02-11T14:20:14+09:00
2006-02-11T14:21:48+09:00
2006-02-11T14:20:14+09:00
dmxakira
ボルドー
【生産者】
シャトー・カロン・セギュール
【ワイン銘柄】
サン・テステフ
【ワイン生産国、地域】
フランス-ボルドー
シャトー・カロン・セギュール底土は砂礫(されき)と鉄分の多い石灰岩という、サン=テステフのコミューンの最北区域にあるカロン=セギュールは、格付けシャトーとしては最北端。カベルン=ガスクトン夫人が所有者で、シャトーに住んでいる点は近隣のモンローズと同じである。珍しい丸屋根と2つの塔のあるカロン=セギュールの白いシャトーは、あたりの風景を圧する趣き。シャトーの周囲には石壁というか、囲いがめぐらされている。これはブルゴーニュではよく見られるが、ボルドーでは珍しい。
カロン=セギュールの歴史はローマ時代に溯(さかのぼ)る。この頃、サン=テステフのコミューンは「デ・カロネス」として知られていた。ワインを生産するシャトーとしての名声は、18世紀、セギュール侯爵のものとされている有名な言葉によっていよいよ増したことは間違いない。彼は「われラフィットやラトゥールをつくりしが、わが心カロンにあり」と言って友人を驚かせたのである。カロンに対する彼の思い入れは、カロンのラベルにあるハートの中に今も生き続けている。
20世紀の大半、やるべきことはほとんどすべてやってきたおかげで、カロン=セギュールはしばしば一級シャトーに匹敵するほどのワインを生産するまでになった。1926年、1928年、1929年には格別の成果をあげたし、陰鬱(いんうつ)な1930年代にあっても、1934年のものは上質だった。1945年、1947年、1948年、1949年、1953年には驚嘆すべき成功をなしとげている。1940年代後半から1950年代初めにかけてのボルドーで、これに匹敵する成果をあげたシャトーはないに等しい。
1953年の後は、1982年まで、本当に深みのあるワインがつくられたことはなかった。その間も悪くはなかったのだが、1960年代、1970年代は最高の年のものでさえ、かすかに酸化しており、果実味がくたびれていた。時には、カビ臭さがあったり古い木の味わいが強すぎたり、収斂(しゆうれん)味の強いタンニンが多すぎたりするものもあった。ボルドーの内情に精通した者の間では、セラー内でのワインの育て方、いわゆる育成(エルヴァージュ)が原因ではないかと考えられていた。また、瓶詰めが遅すぎたとか、澱(おり)引きや古い樽の清掃が、投げやりとは言わないまでも、丁寧でないことが多かったのだろうとも考えられていた。
1982年以降、カロン=セギュールは自分のスタイルを取り戻し、1988年、1989年、1990年、1995年、1996年には上質のワインをつくり出した。この歴史ある偉大なシャトーは1970年代にその方向性を見失ったかに見えたが、今では力強く立ち直り、そのワインは、スタイルこそ大きく異なるが、コス・デストゥルネルやモンローズに迫るほどのものになっている。ガスクトン夫人なら(存命中であれば、彼女の夫君も)こう言うだろう。サン=テステフのすべてのシャトーのうち、カロン=セギュールが最も忠実に、伝統的なスタイルの、成長し花開くまで時間のかかる、長命なワインをつくり続けていると。この点では異論はない。伝統を重んじる人々には、この美しい、歴史的に重要な、有名な1855年の格付けでは(地理的な意味合いで)最後に名のあがる格付けシャトーの近年の労作を、検討してみるようおすすめする
【ワインタイプ】赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
カベルネ・ソーヴィニヨン]]>
フランソワ・ラヴノー・シャブリ・レ・クロ
http://dmxakira.exblog.jp/694830/
2006-02-08T21:52:40+09:00
2006-02-08T21:56:37+09:00
2006-02-08T21:52:40+09:00
dmxakira
ブルゴーニュ
【ワイン生産者】
フランソワ・ラヴノー
【ワイン銘柄】
シャブリ
【ワイン生産国、地域】
フランス-シャブリ
フランソワ・ラヴノーフランソワ・ラヴノーが所有している畑の全ては、7ha弱で、全て特級【レ・クロ(0.5ha)、ブランショ(0.7ha)、ヴァルミュール(0.8ha)】と1級畑のみ。機械摘みが主流のシャブリにあって、現在でも収穫は人手にこだわっている。また、ここ10年来の特級、1級に新樽を用いて厚みを出すという流れにはのらず、ラヴノーが用いる樽のほとんどは旧樽。そんなラヴノーのワイン造りはたいへん伝統的で、まず開放の槽で発酵を終えた後、旧樽で1年前後の熟成。そして清澄はするものの、濾過はせずに瓶詰め、というのが基本的なやり方。
こうして生み出されるワインは、瓶詰め後すぐは気むづかしいタイプのもので、10年近くの瓶熟を経てやっと開花するという、以前のシャブリがもっていた姿を十分堪能出来るもの。加えてその後10~20年はしっかりと熟成を続け、シャブリ独特のミネラル風味を漂わせ、奥行きとメリハリを備えた、真の銘醸となる。
’80年代半ばより息子のジャン=マリも加わり、以前にも増して意欲的な生産を行なっているドメーヌだが、全世界に熱狂的なファンが居て、その少ない量をめぐっての、奪い合いというのが実状。
【ワインタイプ】赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
ピノ・ノワール]]>
シャトー・マルゴー
http://dmxakira.exblog.jp/666917/
2006-02-06T23:12:56+09:00
2006-02-06T23:12:56+09:00
2006-02-06T23:12:56+09:00
dmxakira
ボルドー
【ワイン生産者】
シャトー・マルゴー
【ワイン銘柄】
マルゴー
【ワイン生産国、地域】
フランス-ボルドー
シャトー・マルゴーボルドー・メドック地区のワインをフランスワインの女王と呼ぶとするならシャトー マルゴーは女王たちの中でも、最も芳醇で最も優美なワインだと言えます。 長い瓶熟を経て花開くシャトー マルゴーの華麗さと、たおやかさ、そしてデリカシーはまさに比類のないもので、1855年の公式格付けでグラン クリュ第1級に選定されたのも当然すぎるほどのことだったと言っていいでしょう。
シャトー・マルゴーは、アぺラシオンと同じ名前を持つというボルドーにおけるユニークな特権を持っています。
もともとこのシャトーはイングランドの王エドワード3世の邸宅であったが、シャトーの設立者は恐らくピエール・ドゥ・レストナックであったと思われます。
彼はその頃LamotheMargauxとして知られていた土地の小区画を1570年代に集め始めまあした。しかしながら今日我々の知るシャトーの起源は、 1802年に原型のシャトーを取り壊しシャトー・マルゴーを建てたラ・コロニラの侯爵の貢献にあると言えましょう。
1977年、このシャトーは長い歴史の中でも特に優秀な所有者の手にわたりました。当時、シャトー マルゴーはオーナーのジネステ家が熱意を失ったため名声に翳りを兆しつつありましたが、この新しい所有者メンゼロプロス家はメドック始まって以来の莫大な資財を投入し、畑から醸造・貯蔵設備、そしてシャトーに至までの徹底的な改造を行いました。
しかもその改造は、基本的にメドックの伝統に帰る方向に進められ、科学はあくまでも伝統の長所を伸ばす方向でのみ導入されました。例えば畑での作業は手仕事の部分が一層増え、肥料は農場内で飼われている牛のたい肥を使用。醸造槽は主として木桶を用い、貯蔵には100%新樽を使用するなど、伝統的なワインづくりが理想としていたものをすべて実現したのです。
この結果、1978年以降のシャトー マルゴーは再び一気にメドックワインのトップに返り咲きました。
ここでは葡萄の木はいまだにボルドーの細い柳の小枝でくくりつけられています。樽は所属のクーパー(樽職人)によって作られる。これらは、ファミリーによって維持されてきた多くの伝統的のうちのほんの一部です。
これらの記念碑的ワインを造るのに、費用が惜しまれたことはありません。
【ワインタイプ】赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
カベルネ・ソーヴィニヨン]]>
ジャン・ルイ・シャーヴ・エルミタージュ
http://dmxakira.exblog.jp/617802/
2006-02-03T15:14:09+09:00
2006-02-04T11:03:59+09:00
2006-02-03T15:14:09+09:00
dmxakira
ローヌ
【ワイン生産者】
ジャン・ルイ・シャーヴ
【ワイン銘柄】
エルミタージュ
【ワイン生産国、地域】
フランス-ローヌ
ジャン・ルイ・シャーヴエルミタージュの魔術師、ジェラール・シャーヴは絶好調である。質の面では既に最高レベルに達しているが、さらに絶え間なく、赤白両方のワインを向上させ続けている。
息子のジャン・ルイは、鋭敏で活動的な人物である。現在のところ彼は一日中父親の側で働いているが、このドメーヌの発展を「過去の栄光」にしてしまうことはない。シャーヴ親子はテュルクハイム(アルザス)のレオナールとオリヴィエ・ウンブレヒト同様、フランスワイン業界において最も有能な親子である。
彼らのドメーヌはローヌ右岸のモーヴにあり、そこで優れたサンジョセフを造っているが、ブドウ畑の大部分はエルミタージュにある。その土地区画の状況を見ると、このクリュの地質や日照がヴァラエティーに富んでいることがよくわかる。
まず、格調高く気品ある赤を産する花崗石質で、理想的な日照条件にある「レ・ブサール」に始まり、繊細でアロマに富んだ白に適した「ペレア」のような砂土の丘に至るまで、非常に幅広いのである。どの区画も細心の注意を払って耕され、常に遅摘みである。シャーヴ親子はこのさまざまな土地からできるブドウを、どれもが異なるワインをつくるがごとく別々に醗酵、熟成させる。
だが、彼らは、赤白ともにこの中の最良のワインをエルミタージュという1つの名前のワインをつくるために熟練した技術でブレンドする(残りはそのまま売りに出される)。この気高き主義の唯一の例外はキャトラン名仕込みの赤で、ある年にだけ造られる。
このワインは通常のワインよりも豊潤で濃密なスタイルを持つが、特に繊細さや複雑性があるというわけではない。このワインはエルミタージュすべてのワインの中でも特にバランスが取れていて、荒削りな力強さやタンニンのストラクチャー、樽香などが目立つことは決してない。それとは反対に、繊細さやバランスのよさがすぐに引き出され、熟成とともに奥行きと力強さを増していく。
シャーヴ所有のブドウ畑は凡そ15ヘクタール。そのうち1/3を白ブドウ品種のマルサンヌ/MarsanneとRoussanne/ルーサンヌが、残りの2/3をシラーが占めている。シャーヴの白ワインは、リッチで,オイリーなテクスチャーを持し、蜂蜜やライム、そしてアーモンドの香りが特徴的。
しかし、シャーヴの名はドメーヌで造られる2つのエルミタージュで知られる。1つは毎年ボトリングされているが、エルミタージュ"カトラン"/Ermitage Cathelinに就いては最も結果の期待される年に限り、そしてセラーに眠るキュヴェのなかでも特に最上のキュヴェを用いて生み出される(生産本数は200ケース)。"キュヴェ・カトラン"は通常のエルミタージュ(年産:2000ケース)と比べ、より芳醇で凝縮感のあるワインだ。
これら2つのキュヴェは何れも新鮮味のある味わいを伝えているが、ワインは極めて複雑なスタイルで、ジビエやグリルした肉、それにスモーキーで熟れたフルーツのニュアンスを思わせる。シルクのような滑らかさ、そして複雑な性格を持つ1995ヴィンテージのエルミタージュ"キュヴェ・カトラン"はワイン・スペクテーター誌上、100点満点で98ポイントを獲得、クラシック=最優秀との評価を得た。
【ワインタイプ】発泡性ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
シャルドネ]]>
ルイ・ロデレール・クリスタル・ブリュット
http://dmxakira.exblog.jp/604590/
2006-02-02T17:02:15+09:00
2006-02-04T11:02:53+09:00
2006-02-02T17:02:15+09:00
dmxakira
シャンパーニュ
【ワイン生産者】
ルイ・ロデレール
【ワイン銘柄】
シャンパーニュ
【ワイン生産国、地域】
フランス-シャンパーニュ
ルイ・ロデレール社ルイ・ロデレールは1776年にデュボア・ペール・エ・フィスとして創立され、1827年に当時の経営者ニコラ・アンリ・シュレーデルが甥のルイ・ロデレールを後継者として以来、社名を「ルイ・ロデレール」として現在に至っている。
ルイ・ロデレールの特徴は、約190ヘクタールもの自社畑(平均98~90%クリュであり、130ヘクタールが100%グランクリュ)を所有しぶどうの必要量の約75%をまかなっていることであり、他のシャンパーニュ・ハウスには例を見ない。(年間生産量は170万本)
またぶどうの選果や徹底や、ボトルでの熟成も全ての製品で4年以上と熟成年数が長い。
ルイ・ロデレールのシャンパーニュは、上品さ、豊か強さ、滑らかさを全て備えており、まさに非の打ち所がないシャンパーニュである。
クリスタルクリスタルは栄華を誇ったロシア皇帝専用シャンパーニュとして生まれました。
19世紀半ばからロシア宮廷に最高級のシャンパーニュを納めていたルイ・ロデレール社に1876年のある日、ときの皇帝アレクサンドル2世からひとつの要望が伝えられました。「私の食卓に供されるシャンパーニュは民間人が購入できるものとはまったく違うものにせよ。
その為、瓶はクリスタルであること。また、ナプキンで覆ってサーヴされるのでナプキンから出るボトルの首の部分を半透明にして、これだけで私のシャンパーニュと分かるようにせよ」と。
この要求に従って生まれたのがルイ・ロデレールのクリスタルです。やがてロシア帝国は滅亡したが、クリスタルは、デザインと味をその時のままに現在に至り世界中のシャンパーニュ好きの人たちに至福を与え続けています。
【ワインタイプ】
発泡性ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
シャルドネ]]>
シャトー・テルトル・ロートブッフ
http://dmxakira.exblog.jp/590265/
2006-02-01T16:21:57+09:00
2006-02-04T11:02:31+09:00
2006-02-01T16:21:57+09:00
dmxakira
ボルドー
【ワイン生産者】
テルトル・ロートブッフ
【ワイン銘柄】
サンテミリオン
【ワイン生産国、地域】
フランス-ボルドー
テルトル=ロートブッフは、現在世界中の注目を集めているワインのひとつ。これはむろん正当なことであるが、人はこのシャトーが何ひとつ変わらないことを望んでもいるのである。
ミジャヴィル氏は一途な決意のもとにこのシャトーを運営しており、妥協というものを知らない。彼が心に抱いているのは、すばらしい地の利に恵まれたこのシャトーから、ポムロルのラフルール、ペトリュス、セルタン・ドゥ・メイのようなエキス分と強さを持つワインをつくることである。
そのため、ミジャヴィルは、収穫時期を最も遅くし、収量を低く抑え、1985年以降、ワインの力を生かすために新樽の比率を100%に引き上げた。最近のヴィンテージには、まぎれもなく、眩惑的なほどの果実味と派手な華やかさがあり、ヨーロッパのワイン評論界からおびただしい数の激賞の評が寄せられている。
ボルドーの右岸地区(ポムロルとサン=テミリオン)ではむらのあったヴィンテージだが、ル・テルトル=ロートブッフは贅沢なまでに豊かな果実味とシュル・マテュリテのすべての要素(ジャムのようなプラム、コーヒー、チョコレート、低い酸度)を備えたワインをつくり出した。肥えた、肉付きのよい、濃密な味わいが、とろりとした舌触りとなって口の中を覆う。
甘美で、豊かで、絹のような舌触りのこのワインは、果実味と個性ではちきれんばかりだ。樽で熟成させればもっと構造と輪郭がはっきりすると思ったのだが、むしろいっそう退廃的で享楽的になっている。
【ワインタイプ】
赤ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
メルロー]]>
コント・ラフォン・モンラッシェ
http://dmxakira.exblog.jp/574222/
2006-01-31T14:25:44+09:00
2006-02-04T11:01:32+09:00
2006-01-31T14:25:44+09:00
dmxakira
ブルゴーニュ
【ワイン生産者】
コント・ラフォン
【ワイン銘柄】
モンラッシェ
【ワイン生産国、地域】
フランス-ブルゴーニュ
ドメーヌ・デ・コント・ラフォンの創業は1868年。創業者はジュール・ラフォンでした。ジュール・ラフォン伯爵が亡くなると、その財産は二人の息子、ピエールとアンリに引き継がれました。
ピエールも後を追うように亡くなり、子どものないアンリは相続した畑を売却しようと考えていましたが、甥のルネ・ラフォン(ピエールの息子)が他家への売却に反対し、自ら畑など一切を譲り受けました。
ルネはエンジニアでパリに住み、メタヤージュ方式(分益小作方式=畑を農家に貸しだし、借地代の代わりに収穫したブドウあるいはワインを所有者に渡すシステム)でドメーヌを経営しました。ワインは何年もの間ネゴシアンに売り渡され、コント・ラフォンのラベルでワインが販売されるようになったのは1961年からでした。
1967年にルネはパリの家を引き払い、ムルソーに移り住みます。このころから徐々にコント・ラフォンの名声は高まりだします。ルネの息子ドミニクは、1981年からカリフォルニアやアルザスに出かけワイン造りを実地で学びました。1984年、ルネが引退すると、ドメーヌはその子、ドミニクとブリュノの引き継がれました。
ドミニクがワイン醸造責任者、ブリュノが販売責任者になり、この時点でラフォン家のワイン造りは趣味ではなく、本業として取り組まれるようになりました。1987年にはメタヤージュを完全に廃止し、ドミニク自らが醸造だけでなくブドウ栽培にも乗り出しました。
ドミニクがワイン醸造責任者になって自ら畑を耕しワインを造るようになった1987年から、コント・ラフォンのワインは国際的な高い評価を得るようになります。そして今ではコント・ラフォンのワインは世界有数のファインワインに数えられるようになり、入手するのがなかなか難しいワインのひとつになっています。
【ワインタイプ】
白ワイン
【ワイン容量】
750ml
【ワイン品種】
シャルドネ]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/